LOGIN彼女が降りた駅からさらに列車に揺られること四時間。そこから駅を離れ三十分。早朝の始発駅に乗ったにも関わらず、すでに時刻は昼を過ぎていた。付近には家などなく、ただ田園に囲まれた未舗装の畦道が続く。ところどころ顔を覗わせる野花や蝶が郊外の雰囲気を漂わせる。戦場としてはたびたびこういった自然豊かな場所へ訪れる経験はあったが、そもそも戦以外で王都以外を訪れる機会がなかった私は、なんとなく気が落ち着かない。木立や背の高い野草に隠れて、斥候や狙撃手が隠れているのではないだろうか、そんな感覚がある。来た経験のない場所であるため、警戒心を巡らせると共に周囲の状況は常に心内で整理していこう。
列車を降りてから四十五分ほど歩いたが、ひと一人見当たらない。同じ国に住んでいるというのに、どこか異邦人のような孤独さを感じる。 その中を、がしゃりがしゃりという金属が揺れる音。私が持ってきた大荷物が揺れる音だ。騎士という称号を賜るにあたり、それ相応の鎧を授かることになった。今は洋服を着ているため鎧は入れ物に入れ、背負うことでそれを持ち運んでいる。それに加え日用品を入れたアタッシュケース。当初は最低限の物だけの予定だったが、必要のない華美な洋服を何着も持たされてしまったため、こちらもなかなかの重量になってしまった。最早訓練の域だろう。これからカルム辿り着くまでどれくらい時間を要するのかは不明だが、余計な体力を使うことだけは分かる。 そして鎧の入れ物に括り付けられた大剣。身軽とは正反対の武装だが、今まで影響を感じたことはない。一振りさえすれば勝負を決定づけることが出来るのだ、これほど簡単な武器はない。今の私が身軽かというと、また別の話だが。 村の騎士という任務にどれほどの戦闘力が必要なのか分からないため、一介の兵士である私が持ち出せる物は可能な限り持ち込んだつもりだ。村に隊を組んで攻め込んでくるようなことがなければ、十分に制圧が可能だろう。 自分の所持品をいま一度確かめ終えると、外套のフードを直しながら周囲を見渡した。敵意も、そして装備の不備もない。先ほどから一向に変わらない草原だけがそこにある。 装備を担いだまま長距離を移動する経験は、これまでに何度もあった。流石に雨の中湿地帯を行く任務には及ばないが、この長い長い畦道を何時間も歩くのは結構な苦行だ。町に用があるたび、カルム村の者はこの畦道を歩き列車へ乗るのだろうか。今まで首都で兵をしていた身から見れば、確かにここは辺境と言える。 そうして駅からおよそ一時間、カルム村へと辿り着いた。家は中央の広場を囲むように石造りで建築され、防壁が如く村を囲うように大きな杭が無数に並んでいる。村というには田畑が見受けられない。恐らく別の場所に作っているのだろう。入り口に立ってその風景を眺めていると、珍しいのか何人かの村人が遠くから観察するようにこちらを見ていた。 事前に聞いた話によれば、カルム村に騎士が着任することは初めてだという。幸運なのか近くが戦地になったという記録もなく、恐らく自分のような者が村へやって来ること自体珍しいのだろう。それならば、村人が私をじっとこちらを眺めている行為には納得だ。 まずはこの村の村長と会うことになっているのだが、果たしてその住まいはどこにあるのか。当然、新参者の私には検討もつかない。単純に一番立派な造りをしている家が村長の家なのかと思ったが、見たところ大小の違いは多少あれど、抜きんでて大きな家はない。 自分の足で探すか、村人に聞くべきか。これから自分が取るべき二つの選択を捏ね廻す。どちらを選んでもメリットとデメリットは存在する。これからこの村に常駐することを考えると、村人に不信感を抱かせる行動は控えるべきだろうか。 考える。ここが戦場なら、とっくに死んでいるほどに。「ねぇ、そこの……」
無意識だった。その不意打ちのような呼びかけに、私は反射的に振り向くと同時に背負っている武器の柄を握っていた。
「えっ!? いや、ちょっとちょっと!?」
少し考えれば、相手側からしたら今の私が不審者であることくらい分かることだ。村の入口で、しっかりと装備を整えた人間が突っ立っているのだから。にも関わらず反射的に武器を取ってしまったのは、私がそれほどに周囲を見ていなかったということなのだろう。
「申し訳ありません、突然のことでしたので」
面伏せな気持ちで、大剣から手を離す。見ると波打つ茶髪を後ろに纏めた、少女とも大人とも言えない二十前後ほどの女性だった。
「びっくりしたぁ、見慣れない顔だったから声掛けただけだったんだけど」
「失礼致しました」頭を下げる。
「いやいやこっちこそ、いきなり声掛けてごめんね」
「いいえ、あやしい存在なのは事実ですので」正直に答えると、彼女はどうしてかはなやかな笑みを宿した。その笑みはとても楽しそうな笑みだったのだが、それがどうしてなのかは感じ取れない。きっと私のコミュニケーション機能が低いせいだろう。考えても無駄なため、所感ではあるが友好的な雰囲気のある彼女に当初の目的を尋ねることにした。
「すいません。お尋ねしたいのですが、村長に会うにはどの場所に行けばよろしいのでしょうか」
「村長?」 「はい、私は騎士のエメ・アヴィアージュといいます。この村の村長に挨拶をしたいのですが、村長はどちらに……」どちらにおいででしょうか、そう言う前に。彼女は私の手を取って握りしめた。それほど強くはない力ではあったが、突然のことに一瞬思考が停止してしまう。
「ホントに来たんだっ、この村に! 騎士様が!」
喜んでいる、と見るべきなのだろうか。きらきらと目を輝かせて、子供みたいに気分が昂揚しているようだった。この村が騎士を必要としているなどという話は聞いていないが、喜びようから鑑みて少なくとも彼女は嬉しがっていると見ていいだろう。
「聞いたときはこんな田舎に? って思ったけど、ホントに来てくれたんだ」
何故喜ばれているのかは分からないが、少なくとも私は彼女には歓迎されているらしい。それが喜ばしいことなのかどうかは、まだ判断に迷うところである。仮に私を必要としていた場合、村の状況はあまり芳しくないということになってしまう。仰せつかったその役目を考えるに、きっと出番は少ないほうがいい筈だ。
その昂揚が、単に騎士の物珍しさであることを期待しよう。だがその前に、「申し訳ありません、村長の所在をお聞きしたいのですが」
この村でまず初めにすべきことが達成出来ていない。余計なことを考えるのは、その後でいい。
「あっ、そっかそっか、ごめん。村長のいるところだっけ、いいよ。案内してあげる」
「いえ、お時間を取らせるわけには」 「いいからいいから」そう言って強引に、私の手を引く。村人とは言え、名前も分からない者に私の行方を預けるのは、あまり好ましくない。ただ、この手を振りほどいて不信感を生じさせるほうが、この先面倒事になりかねない。他の村人だって、遠巻きに見ているのだから。
曰く村長は自宅にいるらしく、そちらに向かうらしい。「あたしはロラ。ここで薬師をやってるんだ」
「……ロラ、様」復唱する。名前を覚えるには声に出すのが一番早い。そしてなにより、この村に住む住民だということが確定したことがなによりの情報だろう。
「様はやめて、くすぐったい。というか、すごい荷物。よく持って来れたね、少し持とうか?」
「お気遣いなく」やはり自分の装備が手元を離れるのは心許ないため断る。きっと、彼女からしたら何気ない善意なのだろうが。
ロラの後に続いて村を進んでいくと、次第に私への視線が増えていくことに気がついた。私が通った後ろで名残のように「騎士様?」「本当に?」などという囁き声が聞こえてくる。「あはは、みんなも本当に来るの? って怪しがってたからさ、いざホントに来たから興味津々なんじゃないかな」
「そうなのですか」そう背中に問うとロラは一呼吸おいてから、大きく肩を振り回して振り向いた。そしてひらひらと白いロングスカートをなびかせ、「そうそう」と言って笑う。その子供のような無邪気さに、きっとロラという女性は世間的に見て魅力的な女性なのだろうと客観的ながら感じた。
短く切り揃えられた芝草の地面。そして意図的に作られたであろう石畳の広場と、そこに鎮座する風見鶏。家々には玄関先に花が咲いていたり、或いは収穫物だろう作物がぶら下がっている。 それらを抜けていくと、他の家より若干幅を取っている青い屋根の家があった。ロラの家に戻ると、彼女はいつの間にか戻って来ていた。幼馴染である鍛冶屋の様子を見に行っただけなので、そこまで長居はしなかったのだろう。見ると薬草をすり潰しているところで、どうやら昨日制作していた治癒液は違うらしい。制作過程を見ていないため、もしかしたら同じものを作っている可能性も捨て切れないが。「あれ、騎士様お帰りー。随分遅かったね」「カルムの構造を把握しておきたいと思いまして。少し歩いておりました」「そっかそっか」 すり潰した薬草を鍋に入れながら、ロラは同意するような人懐っこい笑顔を見せた。「それで、一通り見て来たって感じ?」「いえ、商店のご主人に頼まれ事をされてしまって」「商店……? あぁ、もしかしてその人声が大きい?」 同意するように頷くと、呆れたように口角に笑みを作った。ロラがそう言うからには、あの店主は普段から声が大きいことで村に浸透しているのだろう。「それで、頼み事って?」 ロラは作業するその手を止めて聞いてきた。話す内容をしっかりと聞こうという姿勢を感じる。対して、私は店主の依頼を出来るだけ彼が言ったことをそのまま彼女に伝えた。説明は苦手だ。正確に事を伝えなければ殴られる環境にいたせいで、言葉にする際妙な緊張感が胸を締め付けてくる。痛かったというわけではないのだが、やはり苦手と言わざるを得ない。「あぁ、確かに最近来ないわぁ。あたしもたまに薬を卸してたからさ、どうしたんだろうって思ってたんだ」 ロラは思案するように首を傾げると、机の上に並んだ何本かの瓶に目をやった。商品として渡すつもりでいた治癒液なのだろう。カルムに寄る商人は一人ではないため特にという風ではなさそうだが、たしかに困る者が何人もいるなら解決したほうがいい事案だと、私は思った。もちろん、私の都合が噛み合ったからというのが大きいが。「その商人の特徴を教えてもらえますでしょうか」「特徴かぁ。そうは言ってもグリフォンに乗ってるのが一番の特徴だからねぇ」 それではグリフォンと一緒にいない場合、判断が出来ない。そう言うとロラは家のあちこちをうろうろし
そうして2本のペティナイフを購入すると、商店を出た。値段は良心的で、今まで意図して支給される金貨の数を減らされていた私にとっては、とてもありがたい。村だからこその価格設定なのだろうが、なんにせよこれで万が一の際における暗器も確保出来たことになる。 外に置いた武具を装備し直すと、そのまま巨躯の彼が立つ入り口へと向かう。雨で洗われたとはいえ、この鎧も一度血に塗れている。そろそろ一度水洗したいところではあるが、そのようなことをしている場合ではない。付近に川か泉なんかがあれば別だがあまり期待はしないことにする。 村の入り口には早朝と変わらず巨躯の彼が立っていた。岩陰で番人の責務を横着していた双剣の彼女とは違い、しっかりと腕を組んで入り口に立ち塞がっている。 だがしかし、そこには何故か兵士の姿があった。先日まで私も装備していた防具を身に着けたその兵士。何やら巨躯の彼と兵は互いに声を張り上げており、押し問答を繰り返しているようなのである。私にはどうしてカルムに首都を護るための兵士がいるのか分からず、その様を見つめていた。「だから、この村にエメなんて奴はいねぇんだって」「分からない奴だ、あの女がここに昨日来ただろう? あいつを出せと言っているのだ」 兵士の言っていることを汲み取るとどうやら誰かを探しているようだ。そして、その誰かの名前は明らかに私の名前を告げていた。「失礼いたします。どうかされたのですか」 出せ。知らない。そんな嚙み合わない主張の間に割って入る。そういえば、巨躯の彼は私が名乗る前にその場を立ち去ったのだった。声に反応して、両者は私へと顔を向ける。特に兵士のほうは侮蔑をきわめた表情を二つの目に集め、私の顔を斜めに見返す。道端の吐瀉物でも見てしまった、そんな顔。「おう騎士様」 巨躯の彼はそう気さくに反応した。それに、私は頭を軽く下げることで返事とする。状況に反してあまりに気軽に返されたものだから、少し意外だ。今まで目の前の兵と言い争っていただけに、こちらにも苛ついた風に返事をするだろうと思っていた。「幽霊のくせに出迎えが遅いんだよ! いい身分になったもんだな」 怒りと苛立ちが含まれた声。
「何故、ですか」 そう問うと、店主は体をそのままに背後の階段を見る。「娘が怖がんだよ」 子供が怖がっているのは恐らく、声量も一因だろう。などとは口が裂けても言えない。余計なことを口にして処分された兵などたくさんいる。「……承知いたしました」 装備を解除する不安は若干あるが、そう言われたなら仕方がない。大剣の留め具を外し、地面に突き刺す。たしかに、大剣は店内に入るうえで私以外の者には邪魔になる。剣を地面に突き刺した音で、店内にいる者が驚異の眼をみはった。 そして腕当てから外していき、上半身の武装を解いたところで何故か店内で雑多なざわめきが起きていることに気が付く。肌着は着ているため、素肌は晒していないはずだが。「おいおい、待て待て待て!」 どうしてか、その声色には奇妙な焦燥感が含まれていた。そもそも声量の大きい彼がさらに声を張って、村人たちは耳を押さえる。昨日聞いた汽笛にも勝る声量に、かたかたと商品棚が揺れた。「いかがされましたか?」 私の手はちょうど腰当を外そうとしていたが、そんなにも大きな声を出されたら止めざるを得ない。「いかがなされた、じゃねぇよ! こんなところで脱ぐんじゃねぇ!」「ですが鎧を外すよう言われましたし、それに肌着も着ています。猥褻な恰好を晒すわけではないので……」「そうじゃねぇ。入り口でそんなことされたら邪魔だっつってんだよ」 なるほど。幸い誰も入店がなかったため阻害にはなっていなかったが、決して広いわけではない出入り口で装備を解除するべきではなかった。剣と鎧を持ち込むなという言葉を優先してしまったため、たしかにその怒声は道理だ。上官が武装解除と言えばその場で鎧を外すことが当たり前であった私には、その配慮は欠けていた。「……失礼しました」 一瞬だけ、ここへやって来るときに着ていた洋服のことが頭をよぎった。恐らく村内を散策するのに印象がいいのはあの装いだろう。だが、あんな動きづらい服で歩き回っていてもしもの事があった場合を
「作ってあげたらいいじゃん、鞘」 鍛冶屋の背後からロラが現れる。その手には鉄のトレーを持っていて、焼き立てのパンとサラダが乗っていた。時折物音があったのは、どうやら鍛冶屋の朝食を作っていたためらしい。「騎士様困ってるみたいだし」「知らないよそんなの、僕には」 同意だ。私だって、剣と鞘は一対で作りたいという意思なんて知ったことではない。たた、これ以上ロラに借りを作るわけにはいかないので、割って入ることにした。「あの、剣と鞘であれば作って頂けるのですか」 もともとどうしても、というわけではない。私が諦めることでこの面倒が解決されるのなら、躊躇なく引き退がろう。「……いいよ」 私の不意の一言に一瞬口を緩ませるが、すぐに硬く結び直してそう答える。「背中のそのサイズでいい?」 鍛冶屋が指を差しながら問うたため、「はい」と喉の奥で応えながら頷いた。必要なことだけを淡々と話す彼女との会話はとても楽だ。考え方の相違を除いてだが。「いいの? 騎士様」「はい」 どうしてという表情で首を傾げてみせる。指先を唇に当てて、街娘みたくこれ見ようがしに。少しの間そう考えたあと、やがて自分の中に落とし込んだのか得意な屈託のない笑みを浮かべる。「騎士だからって優先は出来ないよ」「構いません」 彼女は鍛冶の役目を負ってこの村にいるのだ。いくら私がある程度地位を所持していようと、それは変わらない。なら彼女の言うことは道理である。それに私の中で優先順位はさほど高くないことから、納得も容易だった。 そうなると、もうこの場所に私は要らない。「騎士様、先に帰ってて。あたしはもうちょっとすることあるから」 言いながら、自然に鍛冶屋の肩に両手で触る。心を読み取ったかのようなタイミングだった。鞘の話は一応ひと段落着いたのだから、当然と言えば当の流れだが。 彼女のために用意された麻袋の件もあるだろうが、朝食を用意するくらいだ。よほど親密な関係なのだろう、ぺたぺたと触るロラを嫌がる素振りはない
私の予想に反して、村人から後ろ指を指されるということはなかった。まだ白髪のことは口伝されていないのだろう。 私が白髪であることを明確に知っている者はこの村に2人いる。巨躯の彼とロラ。2人共会話出来る程度の間柄だが、私が白髪だと吹聴しないという確証はない。 だが、いずれ蔑まれる。 どれだけ好意的に接して来ようが、ロラには住まいを提供してもらっている。そして現在は鍛冶屋に案内してもらっている。それだけでいい。 彼女ならそんなことはしない、などと、そんな期待をするだけ無駄なのだ。 そんな私にも、村中を歩けば話しかけられた。恐らくロラといるからだろう。ようロラか、やあ騎士様。それに、私は「おはようございます」という挨拶をして軽く頭を下げる。習慣的な動作だった。 ロラは話しかけられるたび、その人物と一言二言と言葉を交わした。その1つ1つは短い会話だが、明るく愛想のいい印象を受ける。よすぎて、社交だけとさえ思える。それほどきちんとした笑顔だった。 そうして歩を滞らせながら進むと、前方から知った顔がやって来る。しっかりこちらの存在を認知しての足取りだ。目が合うと「おう」という声を寄越した。 村長だ。 昨日腰に差していた剣はない。手を上げ、挨拶の意を示しながら村長は私達の目の前までやって来た。「おはようございます」 軽く頭を下げる。「おう騎士殿、お疲れさん。だがもう昼前だぜ」 そう言って、唇に微笑みが影のように動いた。「申し訳ありません。兵士であった時代は、時間帯に関係なくその日初めて会う場合これが挨拶だったものですから」 なるほどな。軽い微笑みを右の頬だけに浮かべながら、村長はそう言った。確かに、近しい間柄同志なら朝以外におはようという挨拶は変だ。先ほどの村人のように、「よう」や「やあ」と言ったほうが違和感はない。「リアムから聞いたよ、騎士殿。初っ端から夜通したぁ感謝する他ねぇな」 快活らしく笑う。 私はその呵呵とする様子を他人事のように伏し目ながら見ていた。感謝する他ない。そんなことを言われても、しなくてはならない
トントン、と階段を上ってくる音。「あっ、ダメだって騎士様。ちゃんと休まなきゃ」「ちょうど目覚めてしまいまして」 嘘ではない。「あれからまだ二時間くらいしか経ってないんだから、ちゃんと寝なきゃダメだよ」「眠くはないのです」「じゃあ横になって眼を瞑るだけでもいいからさ」 言われたとおり眼を閉じると、窓から差し込む光が瞼に赤く突き刺さる。瞼の内側は時間がそのままひっそりと止まってしまったかのような場所で、横になって眼を閉じているという状態から歌うたいのことを想起させた。「眠れそう?」「いいえ。申し訳ありません」 苦笑するのが聞こえた。何に対しての苦笑なのだろう、よく分からない。面白かったのか、笑われたのかすら。「そっか、じゃあ少し話さない? そのままでいいからさ」「忙しいのでは」「いいからいいから」 そう言ってロラは、自分の寝床に腰掛けた。正直に言えば、私と会話をしても面白くはないと思う。それに会話の引き出しも全くと言っていいほどない。しかし、ロラがそれで満足するというのなら、断固として拒否するという理由もない。 それから、時間は穏やかな風みたいに流れた。ロラは自分の話をしながら、時折私のことを聞いた。両親はもう幼少の頃に巨狼に襲われていないこと、それからずっとここで治癒師をしながら暮らしていること。こうして人と会話するのは単なる趣味で、別に仕方なく私の相手をしているわけはないらしい。 元来の性格なのだろうが、こうして明るく振る舞い聡く生きている。それだけで、私とは真逆の存在だ。私は分からないことが多く、なおかつ気の利いたことも言えない。兵士として拾われて、選択肢もなかったためそれだけしか知らないのだ。 結果的にそれが村の脅威の排除に繋がった。巨狼は幾年にも亘ってカルムを悩ませる存在だったらしく、夜にも関わらず村の火をほとんど消してしまうのはそういった理由からだという。過去に二度、一匹を一世代前に、もう一匹を自警団の者が討伐したというが、危険な存在のため基本的には寄ってこないよう最低限の灯りで夜を生きてきたらしい。私としては責務を果